スクリーンを横から見てみる

映画と、映画以外の全て、の2つについて。twitterは@cathexis_impish

『来る』The Power

平成から令和にかわる瞬間はiPod classic に音楽を取り込んでいました。まだ使ってるんです、iPod。平成の遺物。
たまたま偶然区切られただけの時代ですが、そこに意味とか物語とか運命とか見出した気になって、それを誰かに話したくなっちゃいますね。ゴールデンウィーク中で暇だから余計に。

この区切りに、2018年の年末に観た中島哲也監督の『来る』を突然思い出しました。「古いな」と感じた箇所があったことを。該当の箇所は女子高生が写っているショットです。
2つ?3つ?たしかそれくらいだけだったはず。
前半の元気にカラオケで盛り上がっているところと、後半で写真撮ったりメイクしてたりするところ。
平成の初期に流行ってましたね、コギャル。ギャルの皆さんはパワーがあった。ほとんど関わりがない私の領域にまでグイグイ踏み込んできてた。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」。
アムラーやらミチナガーらが闊歩してました。

『来る』では終始死の気配に包まれているメインキャラクターたちと、生を/性を発してるサブキャラの/市井の女子高生たちとのコントラストを見せたかったんでしょうか。でも今の彼女たちには、ぼぎわんに勝てるほどのパワーは持ってない。だからアンバランスだったし、その対比のさせ方に「古い」と感じたのでしょう。
それとも監督はただ若い女の子が好きなだけ?
それならば大化以前から続く、時代を超越した男子のパワーですね。

血とクレヨンが混じり合って何とも言えないカラフルな気持ち悪い液体の表現は面白かったよ!

 

Dog Man Star

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