読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スクリーンを横から見てみる

映画と、映画以外の全て、の2つについて。twitterは@cathexis_impish

『シン・ゴジラ』私もゴジラを視た

映画

庵野秀明ゴジラを撮るために生まれてきた

 

見終わってそう感じました。

ゴジラ、それも第一作『ゴジラ』への想いが溢れてて、押しつぶされそうでした。

大好きなゴジラと今までの庵野アニメ作品の混淆物。

やっぱりゴジラへ想い入れをたっぷり注入できる人に作らせるほうがいい、お金があるからってハリウッドに任せちゃいけない。

でも、アレはアレで良いなと思ってましたけどね。『シンゴジラ』觀るまではね。

 

もう、自分が感じたことは数多くの方がすでに書かれてるので以下略ですが、

ひとつ。

 

怪獣映画が怪獣映画たらしめている大きな要素のひとつとして、大勢の人が同じ対象を見ている、というのがあると思います。

視線の先にある、ひとつのものを大勢の人が見て、恐怖している。

しかし『シン・ゴジラ』にはそういう場面がほとんどありません。

それなのに面白い怪獣映画って新しいな、と思っていたのですが、

そんなことない。

視線はたくさんあった。

 

観客の視線です。みんなゴジラを視ていた。

 

そんなの怪獣映画に関わらず全部そうじゃないか。

その通りです。

ただ、庵野秀明は意図的に観客の視線を映画に取り込んで、映画では削ぎ落としていた、同じ対象を見つめる視線役として観客を映画に補完させようと目論んでいたんじゃないかって考えています。

東日本大震災を経験した日本人の視線を。

 

梶井基次郎の言葉を思い出しました。

視ること、それはもうなにかなのだ。

自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ

 

シン・ゴジラ』に大絶賛の声が多いのは、

初代ゴジラに魂を持っていかれた庵野秀明ゴジラに乗り移った。そして今度はみんなの視線が映画に乗り移ったからではないでしょうか。

同じものを見つめている幸福、それとひとつになる幸福。

 

だったら、持ってかれた魂を返してもらいに、もう一度視に行かないと。

 

 <こんな記事もあります> 

cathexis-impish.hatenablog.com

cathexis-impish.hatenablog.com

cathexis-impish.hatenablog.com

cathexis-impish.hatenablog.com