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スクリーンを横から見てみる

映画と、映画以外の全て、の2つについて。twitterは@cathexis_impish

『桐島、部活やめるってよ』問十二、東出昌大の( )に入る言葉を埋めよ

 感動する、心を鷲掴みにされて身悶える幸福感はスクリーンのデカさと音の大きさに比例します。同じ感動させてもらえるなら、より強くガツンとやられるほうがいい。だから私は出来るだけ映画館で観ようとしています。ガツンが良いのは映画とみかん。ぬるめでいいのはお酒の燗だけ。

 

 『りリリィ・シュシュのすべて』からほぼ10年、『青春デンデケデケデケ』から20年。映画の中の青春は10年毎に傑作を産み落としていくようです。

 嗚呼、橋本愛の鮮血の美しさ!!

 映画『桐島、部活やめるってよ』を「視線のやりとりの映画」として見てみることで、エンドロールの

 

宏樹(  ) 東出昌大

 

のカッコに何が入るのか考えてみます。ちょっとしたお遊びなので、あまり真面目に受け取らないで下さい。

*わたし自身が映画の登場人物の名前を覚えられないので、一部を除き俳優名で書き記します。

 

 

 「視線のやりとりの映画」として見てみると、スクール・カーストは、映画の基礎「見る」「見られる」を扱うための手段として存在しています。

 映画内では下層に映画部の神木隆之介と前野朋哉と吹奏楽部の大後寿々花、上層に東出昌大山本美月のグループとバレー部のゴリラ、頂点に桐島、というヒエラルキーになっています。普段、同じ層同士は目を見て会話をしますが、異なる層は互いに目を合わせることがありません。「見る」時に「見られる」ことはなし。視線はいつも一方通行です。(しかし橋本愛だけは例外です。彼女の視線の話は今回は省略します)

 

 上層部たちの会話から、彼らが意識的にしろ無意識的にしろ桐島に憧れを抱いていることがわかります。上層部にとって桐島は「見る」存在。その桐島が部活をやめたという噂が出て、姿を消す。自分がいつも見ていた対象がいなくなる。「見る」を奪われた上層部たちはうろたえ始め、物語が動き出します。

 下層部は桐島に興味がないので冷静です。神木は橋本愛を、大後は東出を見ることができているからです。

 

 同じ層にもヒエラルキーはあります。

 バスケットコートでの暇つぶし。東出がゴールを決めると歓声が聞こえ、教室のベランダから女子たちが東出のことを見つめています。しかし竜汰がゴールを決めるとベランダに女子はいつの間にか教室内に戻っていて誰も見ていません。上層部の中でも東出が上、竜汰と友弘が下と設定されているようです。

 

 バスケットコートはこの映画にとって重要な場所です。

 最初に桐島がヒエラルキーの頂点にいると位置づけしましたが、その根拠はコートの場面で語られています。

 竜汰と友弘が大後を餌に議論します。「部活をがんばってる奴と、部活をやらずにセックス三昧の人生どちらがいいんだ?」

 結論は「部活をして、セックスもしているやつが一番」。

 これを実現出来てるのは映画の中で桐島ただ一人だけです。東出は野球部に籍はあるけど活動していません。

 また、2度目のコートでのシーン。

 「桐島の部活終わりまでの暇つぶしだったバスケ。桐島がいなくなったいま、なぜ俺たちはここにいるのか?」と竜汰。

 「好きだからじゃない?」と友弘は答えます。

 

目標を見失った時、残るものは何?

 

 桐島がいなくなり「見ること」を奪われた東出の視線はフラフラと宙を漂っていました。それが物語上で将来の展望もなくフラフラと日々を過ごしている姿と重なっていた中盤はここで終わり。後半、東出がなんとなく「見た」2人の人物から、バスケットコートでの問を突きつけられることになります。

 

 バスケが好きだと気付いた友弘はコートに残りバスケを続けます。好きなことを続けていた友弘が、屋上に桐島らしき人物がいるのを最初に発見します。

 桐島を見つけたと聞きつけた上層部たちが屋上に向かい、下層の映画部との邂逅。一方通行だった視線が交わり、ドラマが生まれます。

 

 少し戻って。東出は屋上に向かう前に野球部のキャプテンと出会います。東出はキャプテンに「なぜ引退しないのか?」と問うと「ドラフトが終わるまでは」と答えます。しかしドラフトで声がかからないことはキャプテン本人が一番良く分かっている。きっとドラフトが終わっても「来年のドラフトまでは」と何十年も続けるはず。ドラフトは表向きの理由で、キャプテンは目標がなくなっても、野球が好きだから、しているのです。ここで東出は、目標を見失った後に残る「好きだから」を突きつけられます。

 

 屋上で東出は神木と視線を交わします。

「将来は映画監督?」

「映画監督はないかな」

「じゃぁ何で撮ってるの?」

「好きだから」

 

再び突きつけられる「好きだから」。

 「逆光だよ」とテレてカメラを奪う神木。東出には神木が逆光でキラキラ輝いて見えているはず。神木は東出にカメラのレンズ(視線)をつきつけます。「桐島を見失って、残ったのは何?きみが好きなことって何?」と。

 東出は泣き出します。好きなことがないことに悲しくなって泣いたのか?

 私はここで、東出が本当に好きなことに気づき、そのことに自分でもビックリして泣いたのだと考えます。

 では、その好きなことって?

 

 ラストシーン。映画のカメラは東出が校内から出てくるのを少し離れた正面位置から捉え、歩く姿をパンでフォローします。東出が桐島に電話するところはカメラ横位置で、練習を見つめるところは東出の後ろ姿を捉えます。

 最後の最後、桐島に電話をかけながら野球部の練習を見つめる東出の後ろ姿。彼の視線の先にあるのは野球。東出の本当に好きなモノはやっぱり野球だったのです。

 

 

 ウソです。違います。

 野球は東出にとってもう”背景”であり、”うしろむき”で”ボヤケているもの”です。

 では何か?

 彼が好きなのは桐島でしょう。桐島を見失って、それでも桐島が好きだという気持ちが残った。好きというより愛していることに気付いてビックリしたのでしょう。

 そういえば、東出は女子に興味がなさそうでした。彼女はいるけどたいして興味ない感じ。松岡茉優に押し切られてなんとなく付き合ってる感がありました。キスも嫌そうにしていたし。

 もっと深読みすれば、神木がカメラを向けながら「やっぱりカッコイイね」と言った言葉にガツンときたのかもしれません。それで自身の性癖に気がついた。

 東出は最後、桐島に電話で愛の告白をしようとしていたのでは。

 

回答:

宏樹(桐島LOVE♡) 東出昌大

 

 本当はカッコ内は空白が正解だと思っていますけどね。

視線のやりとりから見た橋本愛大後寿々花、についても気が向いたら考えてみます。

 

 宏樹、桐島を愛していた説でした。

 

 

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