読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スクリーンを横から見てみる

映画と、映画以外の全て、の2つについて。twitterは@cathexis_impish

『母と暮らせば』母が息子にしてもらいたい109の願いと原節子と

映画

f:id:cathexis-impish:20160324235505j:plain

 

 二宮和也アカデミー賞のほか、たくさんの賞をとっている『母と暮らせば』は、『ゴースト』親子版であり、「母が息子にしてもらいたい109の願い」が詰まっています。

 本当は109個もありませんが、タイトルに数字を使ってみたかったのです。

 

 むかしパートの女性が「2歳の息子が大人になったとき、わたしをギューっと抱きしめてくれないかなぁ」と言っていたのを思い出します。

 息子の立場からすると、そんなこと絶対にありません。

 もうこの世にいなくなった時か、母が満足に動けなくなった時、子供の頃に仰ぎ見ていた彼女を失ったと気付いた時に抱きしめたくなるでしょう。

 ずっと大切には思っているんですよ。

 

 

 それはさておき、

 第一線で演じることを長く続ける女は、”美しい”や”演技が上手”を超えた”凄み”を手に入れ”大女優”という名の怪物になります。

 われわれは嫌いなものには目を背けますが、怖いものからは目を離せません。

 得体のしれない恐怖に似た何かと、狂おしいほどの生命力を持ったものが”凄み”で、スクリーンから視神経を通じて襲いかかってくる大女優に我々は魅入られ、目を離すことができなくなります。

 

 その大女優と呼ばれる人の中で、凄みを持たなかった人が原節子です。気品を武器に観客を魅了した唯一の女優だったのではないでしょうか。

 もう一人、凄みを避けたまま大女優となったのが吉永小百合ですが、彼女は品がある女性を演じるのが上手、という人です。

 ”凄み”を持たない二人ですが、吉永小百合には”魅入られる”ということが欠けているという気がします。

 

 仮に、『斜陽』の直治とかず子の母を両者が演じたとして、「おしっこよ」と微笑む原節子の幽玄さには魅入られてしまいますが、吉永小百合の「おしっこよ」は目を逸らしてしまうでしょう。

 

 なので、『東京物語』で紀子が吐露する場面の紀子には魅入られますが、『母と暮らせば』のそれには目を逸らしたくなってしまう。

 でもこの作品の吉永小百合を、私は目を逸らすことができませんでした。

 

ここでの吉永小百合の吐露には、ドロッとした血とともに内臓がボタッと落ちるようなグロテスクな魅力があります。狂おしいほど力強い生命力のような何か。そこから死に至る病へと続くまでの演技。

 吉永小百合黒木華が同時に映っているショットでは、必ず黒木に光が射し、吉永は闇に包まれているところから、きっとこうなることは分かってていましたが、こんな吉永小百合を観ることができたという驚き。

 

 吉永小百合もまた”凄み”を持った怪物でした。

 

 <こんな記事もあります>

cathexis-impish.hatenablog.com

cathexis-impish.hatenablog.com