スクリーンを横から見てみる

映画と、映画以外の全て、の2つについて。twitterは@cathexis_impish

『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』手持ちカメラの意味

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私の鑑賞する映画の選ぶ時は、事前に観たい映画のあらすじを丹念に調べたりオフィシャルサイトで情報を確認することはしません。いい作品に出会った時の衝撃を出来るだけ大きくしたい。なるべくタイトルだけ、監督名だけ、フラッと空いた時間に近くの映画館でやっているのを観る。
偶然いい女との激しい出会いを求めているのです。
食パンをくわえて「遅刻だ!」なんて言いながら走り、角を曲がった時に知らない女の子とぶつかってケンカ。その子が転校生として僕のクラスにやってくる、あの衝撃の出会い。
ちなみに私、学生の頃にコレやったんですが、走る時って歯をくいしばるので、3歩も駆け出さないうちに食パンは千切れて落ちてしまいます。あと、走った時の風の抵抗でもすぐに千切れます。経験者より未経験者のあなたへ。

リリー・フランキーの「映画も人生も博打も、低いレートでシビれることができる方が幸せであるに違いない」という文句は、まさに真理の的を射た言葉でしょう。

そのようにして『瞳の奥の秘密』や『薄氷の殺人』などと幸福な出会いを経験できたわけですが、反対にタイトルやポスターを見てつまらなそうだと判断してしまって、数年遅れて観て「あの時、観とけばよかった」と後悔することもここ10年ほど多くなっていまして、この方法が良いのかどうか分からないまま今に至っています。『世界にひとつのプレイブック』『はじまりのうた』そして『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』。これらは友人知人に強く勧められなかったら雨でも晴れでも会えないままだったし、晴れた日に想うこともなかったでしょう。クリス・クーパー伊東四朗がそっくりだということにも気づかないままだったはず。
タイトルでショボい恋愛映画だと思っちゃったよ。ポエムな凝ったタイトルにしないと耐えられないレベルの映画なんじゃないの?って。


作品を見はじめてすぐに手持ちカメラのブレが気になり始めます。
手持ちカメラの映像は酔ったり見にくかったりとデメリットの方が目立つので、アマチュア作品ならまだしも、このような作品であればそれ相当の理由があって手持ちにしたはずです。でも意図が見つけられない。固定カメラでいいじゃん、見難いよ。『仁義なき戦い』のような荒々しさをフィルムに定着させたいの?『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたいなリアリティを獲得したいの?でもそんな感じはまるでしないよ。
これ失敗作か?でも結構面白いよな、なんて考えながら観ていました。

突然、使われなくなったメリーゴーラウンドのシーン辺りで、ふと気付く。
撮影用語で、カメラを固定して撮ることをフィックス(Fix)というそうです。Fix には固定するという意味の他に修理する・修繕するという意味がある。この作品のオリジナルタイトルはdemoliton 解体・取り壊しといった意味。

この映画は解体するところまでの話です。最後の最後まで修復されません。修復への小さなカケラを拾い集めたところで終わります。
自宅を取り壊し切った時に出てきたジュリアの隠し事、サンバイザーに隠されていたメモ。デイヴィッドは徐々に自身の分解されたパーツを取り戻す。そして子供の頃の最大の関心事「速く走る」。ラストに駆けっこで1番にゴールをしたデイヴィスは一番大事なカケラをを取り戻す。
あの笑顔!
クリスの助けを借りなくてもあんな笑顔を自然に出せるなんて!

そしてその後からが彼の修復の物語。だからそれまではFixの映像は使えなかった。
もしこの続編が作られるなら、それは手持ちカメラの映像が三脚に固定されるまでの話となるのでしょう。

 

 

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「水曜日のダウンタウン」七夕に祈ったこと

闇営業に関わった人たちが闇芸人みたいな扱いをされている昨今、しんの闇芸人・安田大サーカスのクロちゃんは「シロちゃんです」と疑惑を否定していたけれど、ふとパブリックイメージのクロちゃんは『水曜日のダウンタウン』が作っているもので、


「リアリティショー風の企画で見せる人芸生を視聴者は本当だと思ってしまう」説


の長期検証中なんじゃないか、という考えが過った。

台本もあり、演出されているのではないか?
そういえば寝相の悪さも、すぐにバレるtwitterでの嘘も、そういわれればあまりにも不自然なところ多々。

あの番組の成分表を見れば「悪意100%」と書いてあるだろう。スラムドッグミリオネア企画やモノマネ芸人のアテレコ企画など、プロデューサーはニーチェなのか?というようなことを度々してくるから安心して番組を観ていられないところがある。急に怖くなった。お願いをしなくては。


どうぞクロちゃんが本当にあのクズモンスターのままでありますように。でも、お身体には気をつけて。

『来る』The Power

平成から令和にかわる瞬間はiPod classic に音楽を取り込んでいました。まだ使ってるんです、iPod。平成の遺物。
たまたま偶然区切られただけの時代ですが、そこに意味とか物語とか運命とか見出した気になって、それを誰かに話したくなっちゃいますね。ゴールデンウィーク中で暇だから余計に。

この区切りに、2018年の年末に観た中島哲也監督の『来る』を突然思い出しました。「古いな」と感じた箇所があったことを。該当の箇所は女子高生が写っているショットです。
2つ?3つ?たしかそれくらいだけだったはず。
前半の元気にカラオケで盛り上がっているところと、後半で写真撮ったりメイクしてたりするところ。
平成の初期に流行ってましたね、コギャル。ギャルの皆さんはパワーがあった。ほとんど関わりがない私の領域にまでグイグイ踏み込んできてた。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」。
アムラーやらミチナガーらが闊歩してました。

『来る』では終始死の気配に包まれているメインキャラクターたちと、生を/性を発してるサブキャラの/市井の女子高生たちとのコントラストを見せたかったんでしょうか。でも今の彼女たちには、ぼぎわんに勝てるほどのパワーは持ってない。だからアンバランスだったし、その対比のさせ方に「古い」と感じたのでしょう。
それとも監督はただ若い女の子が好きなだけ?
それならば大化以前から続く、時代を超越した男子のパワーですね。

血とクレヨンが混じり合って何とも言えないカラフルな気持ち悪い液体の表現は面白かったよ!

 

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