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『沈黙 ―サイレンス―』隠れキリシタンではなくウォーリーを探せ

窪塚洋介

わたしはこの人の顔が大好きで、ずっと見ていたいと思うのです。

なぜか魅入られてしまうのです。

街 〜運命の交差点〜』のAD役のころから、というのは嘘ですが『天国に一番近い男』というドラマで見かけてからずっとファンであります。

男性は窪塚。

女性は駅乃みちかナタリー・ポートマン

先日、「『ジャッキー』を観に行くぞ!」との決心も大雨を理由に自宅でゴロゴロするという楽なほうに転んでしまいましたが、ずっと心の中では『ジャッキー』を見に行きたい気持ちを今も持っています。

 

自身の名前もそうですが、作品時間もいつも長いなと思わされるマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 ―サイレンス―』。

今回は別段長く感じなかったのは窪塚洋介のせいでしょうか。

周囲の観た人は結構残酷なところで目を覆ってしまった、という意見もありますが、わたしは塚本晋也さんの水攻めでは、心の中で大爆笑していました。

不謹慎でした。お詫びします。お釈迦様、ごめんなさい。

まるでキリストの磔のようになる死後には「おぉ!」って思ったので許してください。

 

塚本さんの磔がキリストの磔に似せてるのは、どちらかといえば直喩的な表現ですが、この映画には暗喩的な表現もあります。

ラスト、棄教し江戸に移住したロドリゴのもとにキチジローがやってきて告解を求めます。「もう神父ではない」と初めは断るロドリゴですが、結局キチジローに赦しを与えるシーン。ロドリゴの背後に十字架がありました。

言葉でうまく説明できないので簡単な絵をご覧ください。鑑賞したのが節分の頃なので記憶が曖昧な箇所が多分にあります。それも絵で表現しています。

 

 

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壁の何でもないところに紐が垂れ下がっていて、それが十字架のように見えます。

バストショットのサイズなので、背後に目がいかないよう普通ならば邪魔になる紐は映さないようにするのではないかと思うのです。

ロドリゴの言葉とは裏腹に密かに十字架を画面に入れ、心境を表す。

この直後、ロドリゴがキチジローに赦しを与えるシーン、カメラは二人をとらえていますが、背後は障子です。障子の格子、十字架で満たされています。日本が舞台なので障子や牢屋の格子はたくさん出現しますが、ここの格子はストーリーからいっても特別で、十字架を暗喩していると思うのです。

(イラストを描くのに四苦八苦したので、ここのショットの絵は断念します。わたしは楽なほうに転びます。)

 

こういうメタファーは、昔の映画でいうと『ダーティハリー』が有名ですね。

『沈黙』のように十字架と思わせるものがいろんな場面で出現しています。

 

やっとラストになって十字架の暗喩に気が付きました。

スコセッシ監督のことですから、映画前半にもこのように隠れたものがたくさん散りばめられているかもしれませんね。あなたはウォーリーを見つけましたか?

ウォーリーを探すために、すぐにもう一度観ようとは思いませんが、いつの日か。

まずは『ジャッキー』を。

 

 

 この本に『ダーティハリー』のことの記述がありました。

映画の授業―映画美学校の教室から

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『ラ・ラ・ランド』The way we are

デイミアン・チャゼルの前作はあまり好感が持てなかったのですが、今作は楽しめました。過去のミュージカル映画のエッセンスをふんだんに詰め込まれていました。

そして物語はバーブラ・ストライサンドロバート・レッドフォード主演の『追憶』という映画を追憶させられました。

 

ラ・ラ・ランド』はそうでもないですが、『追憶』のような長い年月の男女を描いた作品に私は大変弱く、すぐにホロリとさせられてしまいます。

カサブランカ』『恋人たちの予感』『秋津温泉』などなど。

一番は『ビフォア・サンライズ』の鑑賞から9年経って観る『ビフォア・サンセット』でしょうか。

9年間という時間の長さと90分という短さが同時に押し寄せてきてグチャグチャにされる快感にひたれます。

 

閑話休題

観た人がいろいろ話題にしているラストの夢?妄想?ですが、

セブのでもミアのでもなく、われわれ観客が夢見る理想のふたりの人生、「観客のラ・ラ・ランド」だと私は考えます。

 

しかし「観客のラ・ラ・ランド」が果たしてふたりにとって幸せなのか?

自身の店を持つ夢を諦めミアをサポートする人生。

自身の夢は叶ったけど、自分のために夢を犠牲にした人が一番近くにいる人生。

 

The way we are, 今のふたりのあるがままの姿を見ろ。

ミアのセブが視線を交わすお互いの表情が幸せそうだと捉えるのか、不幸せだと捉えるのか。

観客の歩んできた人生によって作品に対する評価が決まるのではないでしょうか。

賛否両論なのも納得がいきます。

映画のショットと観客の人生のモンタージュ。

こういうクレショフ効果、いい映画に多いですね。

 

 

今のアメリカ映画はわざと難しい移動撮影でワンカット長回しを撮るということが流行りのようですね。

ひと昔前のやたらとカットを割ってた頃と比べると格段に見やすくて良し。

トランスフォーマー』は目眩がしたので途中で退場しましたからね。極端な例ですけど。

 

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『レヴェナント』アカデミー主演男優賞はルベツキ

  作品についてはイニャリトゥ監督ということ、たくさんアカデミー賞を獲ったというのと、ディカプリオが熊と格闘する映画っていうくらいの知識で足を運びました。

 

 「レオナルドと熊か……」なんて思いついちゃったから、心の衝撃レートがかなり低めに見積もられたせいもあって、いや、レートが高くってもバーより遥かに高く、圧倒。私の身と心はグリズリーに弄ばれたヒュー・グラスの如く、しかし心地良く振り回され、弄ばれたのでした。

 

 グラスたちが歩く森。森なのに下が土じゃなくて雪解け水が流れている映像。『ツリー・オブ・ライフ』が始まったのかと思いましたよ。あの場所を見つけてきた人もすごい。

 続くインディアンの襲撃の長回し、どこから矢が飛んで来るのか分からず恐怖。本当に矢が自分に当たるんじゃないかとハラハラしてしました。『トゥモロー・ワールド』が始まったのかと思いましたよ。MX4Dや4DX上映だったら観客の何人かはきっと矢に当たってたはず。2Dでよかった。

 

 サヴァイヴするディカプリオが、途中から熊に見えてきます。熊の毛皮を羽織り、川にバシャバシャ入って魚をムシャリ、レバーをガツガツ。生命力!

ゼロ・グラビティ』かと思いましたよ。

ディカプリオ、オスカーを獲るのも納得。

 

が、私は主演男優賞は撮影監督のエマニュエル・ルベツキにあげたい。それほどこの映画のカメラは一人の登場人物として目立っていました。

 

 「カメラと編集を観客に意識させないのが、良い映画だ」という意味の発言を、どこかの本で読んだ覚えがあります。私もそうだと信じていたのですが、『レヴェナント』はカメラがこれでもかと自己主張します。良い映画なのに、なぜ?

 

 この映画の特徴のひとつ、大自然と人間の顔。それが交互に、または同時に。どれもこれもその映像の力強さにひれ伏してしまう。

 旅行に行くと、その土地で普段見ることがない自然を目の前にして、思わずカメラでパシャリと数枚記録しますが、いっつも自分が感じたものに追いついてないなと思いませんか?

 カメラのせいか、レンズのせいか、実力不足か。その全部だと思いますが、エマニュエル・ルベツキという人は自然の圧倒的な美を体験したものを、そのまま、もしくはそれ以上のものを記録することができる人なのでしょう。

 映像がキレイなだけじゃなくって、ハラハラ・ドキドキしてしまうシーンも、腸煮えくり返って像をむき出しの表情も、一番良い切り取り方を知ってるような、そんな人なんだという気がします。

 

 

 

ここから少し撮影手法の話を書きますが、私はカメラについて素人です。

間違ってる箇所などありましたら、ご指摘ください。

 

黎明期はカメラを固定していて、

それから被写体を追いかけるパン&ティルトがあみ出され、

台車にカメラを乗せて移動撮影、クレーン撮影、と立体的な動きをするようになり、

さらにはスパイダーカム、ドローンなど縦横無尽に動き回れるように。

 

もうひとつの流れで、カメラが小さくなったことでの手持ち撮影。

これの手ブレを抑えるためにできたステディカム

90年代に『ER緊急救命室』というアメリカのドラマでステディカムが使われていました。救急医療現場という騒然とした空間で、カメラは逼迫した状況の中、次々と入れ替わる登場人物たちを臨場感を損なうことなくとらえていました。私が初めてカメラがドラマ内にいることを意識した瞬間だったと記憶しています。

手ブレが嫌でステディカムが出来たのに、もう一度手ブレ手法に戻るんですよね。

ブレア・ウィッチ・プロジェクト』。POV(主観ショット)と呼ばれる、カメラを登場人物の視線とする手法が出てきます。

カメラ=登場人物の視点=観客の視点となるので、劇中にのめり込みやすくなりました。

 

 撮影手法の進化のふたつの流れ、縦横無尽に動くカメラとPOVの臨場感。これが上手く混じりあって、もう一歩劇中に踏み込ませてもらえるような、そんな体験をさせてくれるのがルベツキの特色ではないでしょうか。

 誰かの主観のようでありながら、それは神の視点、いや、蚊の視点か。あの人間にまとわりつくようなネチッコイ感じは。

 

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 途中で、ディカプリオが寒さをしのぐために馬の内蔵を取り出して、その腹の中で一夜を過ごすくだりがありますが、『馬々と人間たち』でも同じシーンがありました。アレは正しい身のしのぎ方なんでしょうね。

 もし自分が同じ状況に陥ったらやってみよう、と空調のきいた快適な映画館の座り心地のいい座席に身を預けながら心に期すのでした。

蚊はいませんでした。

 

 

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